今月も花園誌で「心揺さぶる!禅の名場面」描かせていただいております。
今月のテーマは「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)」です。
自分自身は何ものなのか?
今回のお話
南獄懐譲(なんがくえじょう)は六祖慧能禅師のもとに修行にやってきました。
慧能が懐譲に問いかけます。
「どこから来た?」
懐譲が答えます。
「はい、嵩山の慧安禅師のところから来ました」
すると慧能は微妙な表情。さらにこう問いかけます。
「そのように来たのは何ものか?」
ここで懐譲も慧能が何を聞いているのかおぼろげに察します。
(ここでただ普通に『はい、来たのは懐譲です』と答えればいいわけではない。今までの私の経歴や肩書きをすべて取っ払った自分自身が『何もの』なのかを問われているのだ)
懐譲は必死に考えましたが、けっきょくその場では何も答えられませんでした。
そして慧能のもとで修行を続けて8年が過ぎたころようやく考えがまとまりました。
懐譲は慧能にこういいます。
「8年前の問いにお答えいたします」
そして続けて
「一物を説似せば即ち中らず(いちもつを・せつじせば・すなわち・あたらず)」
(何と説いても中りません)
聞いた慧能はさらにこう問います。
「それは修行によって会得するものかね?」
懐譲は答えます。
「修行して会得するということもありませんが、そもそもそれは汚れたりしないものです」
慧能はその答えに深くうなずき
「いい答えじゃ、8年かけただけのことはある」
とほめたたえるのでした。
「一物を説似せば即ち中らず」とはどのような言葉で説明してもすべて的外れになってしまうという意味です。
懐譲は自分の「仏」を見届けたうえでこう答えたのでした。
先月に引き続き、来年のカレンダーいかがでしょうか。
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