こんにちは今木商事(イマキショウジ@imakisyoji)です。
今月度も花園誌で「心揺さぶる!禅の名場面」描かせていただいております。
今月のテーマは「瓦を磨いて鏡に」です。
瓦を磨く師匠の真意とは?
今回のお話
一日中熱心に坐禅に励んでいる馬祖道一(ばそどういつ)に、師匠である南嶽懐譲(なんがくえじょう)が声をかけます。
「お前は何を求めて坐禅をしておるのか?」
道一は答えます。
「はい。仏になるために坐禅をしております!」
それを聞いた懐譲はかたわらにあった瓦を手に取ると、道一の横に座り、ゴシゴシと瓦を磨き始めました。
師匠の奇妙な行動の意味がわからず、道一はこうたずねます。
「あの師匠…何をなさっているのですか?」
「見てわからんか。瓦を磨いておるのじゃ。きれいに磨いて鏡にしようと思ってな」
「鏡…?」
道一はあきれてしまってこういいます。
「ハハハ、師匠。いくら瓦を一生懸命磨いたところで鏡にはなりません」
それを聞いた懐譲は答えます。
「そうか瓦を磨いても鏡にはならんか。ならばお前がいくら坐禅をしても仏にはなれんな」
坐禅はたしかに禅においてとても大事な修行。
しかし、ただ形ばかりで坐っていれば良いというわけではありません。
あくまでも「心が根本」であることを忘れてはいけない。
南嶽懐譲はそのことを弟子に伝えたかったのでしょう。
おまけ
表3にあった広告。
これをお読みになってるみなさま、いかがでしょうか。
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