こんにちは今木商事(イマキショウジ@imakisyoji)です。
最近はこの記事へのアクセスが多いです。
このアクセス解析を見ると、
「マンガが描きたいんだけど何を描けばいいのかわからない」
という人がたくさんいらっしゃるんだなと気づきました。
そこで私が四半世紀以上のマンガ家経験から何とか解決策を考えてみましょう。
実はプロでも描きたいものはわからない?
実はこの「何を描けばいいのかわからない」という人がいると知ったとき、自分はそんなことはなかったな…と思ったんですが、よく考えると小さい規模ではけっこうあったぞとも思えてきました。そのあたりのこともふくめて語っていきます。
描きたいものがあってこそマンガ家という考え方
描きたいものがわからないという人に
「描きたいものが自分でわからないなんて、そんなんじゃマンガ家なんかなれっこない!」
というきびしい意見があります。基本的にはマンガ家はマンガを通して何かを表現する仕事ですからまったくもって正論で、私もそのとおりだと思います。
ただ「描きたいものがわからない」というのは、案外プロでも多いことではないかと思うのです。
以前聞いたあるマンガ家さんの話
私が以前編集さんに聞いたお話です。その編集さんが担当したあるマンガ家さんが打ち合わせの席でこういいます。
「今度の話だけど、これこれこういう風にしようと思うんだ」
それを聞いた編集さん。
「なるほどいいですね。ではそれでネーム切ってください」
数日後。再び打ち合わせの席。
「ネームできましたか?」
「いやあできてないんだ」
ドタッと編集さんこける。
「それでね、今度の話これこれこういう風にしようと思うんだ」
「いいですよ!だからそれでネーム切ってください」
数日後。再び打ち合わせの席。
「ネームできましたか?」
「できてないんだ」
ドタッとまた編集さんこける。
マンガ家さんがすでにこれこれこういう風に描きたいとイメージもあるのだからスラスラ描けるはずと特にマンガ家以外の方は思うでしょうが、こういうことはよくあります。
この方の場合は「わからない」のではなく「これで良いのかな」と悩まれていたのでしょうからちょっと論旨からはずれるかもしれませんが、とにかくプロでもこれぐらい迷うのだということはおわかりいただけたと思います。
私の場合(コミカライズ作品)
たとえば私は長年コミックボンボンでいわゆるコミカライズ作品を多数手がけてきました。コミカライズ作品というのはマンガ家が自分で考えたのではなくアニメやゲームや玩具ですでにある企画作品をマンガにすることをいいます。たとえばトランスフォーマーの1ジャンルである「ビーストウォーズ」シリーズなどです。
これらはいわば借り物の企画ですから自分がこういうのが描きたい!といってできた作品ではありません。 それに加えて私自身が「こんなのが描きたい!」と強く志向するタイプではないので「ビーストウォーズ」は当初どう描いていいのか本当にわかりませんでした。
これもコミカライズ作品というちょっと特殊なジャンルですが、プロでも描きたいものが明確でないけど描いているという一例にはなると思います。
本当に描きたいものがわからないのか?
さて「描きたいものがわからない」といってる人は本当に「わからない」のかを考えてみましょう。私の経験では2つに分類されると思います。
本当は描きたいものがあるのだが自分でもよくわかっていない
1つは「描きたいものがあるのだが自分でもよくわかっていない」タイプです。
だいぶ前にある雑誌の新人賞受賞作品を読んだのですが、そのときの審査員の選評にこういうのがありました。
「○○を主人公にして描いているが、作者が本当に描きたいのは脇役の××なのだろう」
私も読んでそう思いました。慣れない新人のころにはよくあることですが、自分でも本当に描きたいものがよくわからないまま描いてしまっているので焦点がずれているのですね。
こういう人は編集さんの客観的な視点からのアドバイスで良くなるでしょう。しかしマンガは論文ではないのだからそこまで厳密に構成しなくても良いとも思います。
いずれにせよこの方は自分でもちゃんと意識していないかもしれないが「描きたいもの」はあったわけです。
先ほどの私の「ビーストウォーズ」も、振り返ってみればたしかに私がいいたいこと(というほど大層なものではないが考え方等)が色濃く作品に反映されていたと思います。
本当は描きたいものがあるのだが自分でははずかしい
もう1つは「描きたいものがあるのだが自分でははずかしい」タイプです。内心これが描きたいとぼんやりイメージできているのですが、人にいうのは抵抗があるという人ですね。
これも昔話ですが、知り合いのマンガ家志望の人に会ったとき、長いこといろいろ話をしていて、でもなかなか自分が描きたい内容に関しては話さなかったのですが、だいぶたってからおもむろに
「何かこれこれこういうキャラとこういうキャラが何とかして…そういうのが描きたい!」
といいだしたのです。
実はこの人の心の中では「描きたいもの」がぼんやりにせよあったのですが、何となく人に話すのがはずかしかったのですね。
このはずかしいという感覚はマンガ家以外の方にはわかってもらいにくい感覚だと思うのですが、自分が描きたい世界というのは、その作者の心の中のやわらかい部分から作られたものなので、おいそれとは口にできないものなのです。
強いていうなら好きな人への告白とかに似ているかもしれません。
だから
「描きたいものがあるのならさっさと描けば良いじゃない!」
というのは
「好きな人いるのならさっさと告白すれば良いじゃない!」
というのと同じくらい繊細な問題になるわけです。
まとめ
「描きたいもの」とか意識して考えれば考えるほど「『描きたいもの』?自分に『描きたいもの』なんてあったろうか?ああオレはダメだ!」とかとかく深刻に悩んでしまうものです。
ただ「こんなヒーローが描きたい」とか「こんな巨乳の女の子が描きたい」で良いのでとにかく描きはじめてください。
「これで良いのかな…」とかそういう気持ちになってもかまわずとにかく作品を完成させれば「描きたいもの」はそこにあるはずです。
プロモーションコーナー
マガジンZで描く機会があって何を描けばいいかな~となったとき編集さんの
「中華魔女っ子ものですかね~」
ということばに安易に乗っかって作った作品です(笑)ちょこちょこ売れてます。