こんにちは今木商事(イマキショウジ@imakisyoji)です。
今回はネームのむずかしさについてお話したいと思います。
ネームを書くのはラブレターを書くのと同じむずかしさ
ネームの苦しさについて
最近ではマンガを描かない人の中にも、ネームという言葉が浸透してきたように思います。
しかしネームを書く苦しさについてはどうもよく理解されていないのではという気がします。
ネームの苦しさとかいうと「ああ、わかりますわかります。産みの苦しみですよね」とかいう声が聞こえてきそうです。
「いいアイデアが出ない」
「何かおもしろい展開を思いつかない」
「このあとどうすればいいんだ」
…そんな風に悩んでいるんでしょう…と。
マンガ関係者(出版社の人たち等)や、あるいはマンガ家自身もそう思っているのではとさえ思います。
しかし本当にそうでしょうか。
何だかネームの苦しさはアイデアが出る出ないといった単純な話ではないような気がするのです。
これはひょっとしたら私だけなのかもしれませんが、とにかく思うところを書いていきます。
好きな異性に気持ちを伝えられるか
たとえばあなたに好きな異性がいるとします。
何とかあなたはその人とお近づきになりたいが、どうすればいいかわからない。
友人に相談すると思い切って告白しろなどといわれる。ダメでもともとだと。
しかしこれは他人事だからいえるわけで、もちろん自分でもそのとおりだと思うものの、なかなか当人に伝える勇気が出ない。
でももうこうしているのもつらい。えいっとばかりに好きだと相手に伝えるラブレターをしたためる。
で、書いているとだんだん勢いがついてきて、最後まで書いてしまう。
書き上げたときは何とも気分が高揚しているが、翌朝見返してみると顔から火が噴き出るようなことが書いてある。
まあせっかく書いたのだから本人に渡そうとも思うが、いややはりこれは破り捨ててしまおうとも考える…。
心の弱点
ラブレターを書くのに悩むのは、文章のレトリックとかではなく、書こうとする気持ちに対する強烈な抵抗感です。
思うに、自分の心の一番弱い部分をさらけ出すような気がするので、それを回避しようという力が働くのではないでしょうか。
たとえば友人のためにラブレターを代筆する場合は、はずかしさは全くないはずです。どう書けば効果的かの推敲はするでしょうが、当事者ではない気楽さから、スラスラ進むでしょう。
ネームを書くのってこういう気持ちに近い気がします。心の一番弱い部分をさらけ出す必要があるからでしょう。
マンガコマッタラ―
とにかくそういうわけで少なくとも私にとっては、ネームというのはとても書き辛いものです。
なので若いときから何とかしようとしてきました。自分で書いた原作をメールにして自分に出したこともあります。そうすることで少しでも原作を客観的に見ようとしたわけです。
しかし私が苦手なのはネームの段階だと気づきました。文字のみだと大丈夫なのですが、どうも絵が入ると主観的になってしまうらしい。
そこで「ラーメンの神さま」のとき使った手がこれです。
これは友人に教えてもらったものですが、自動でコマを割ってネームを作ってくれます。
もちろん構成を自分で整えないといけませんが、いったん自分の絵ではないネームができているため、かなり抵抗感が軽減されています。
いい意味で他人事感でながめられるのが良いのでしょう。
次回は実際に使った様子をお話します。
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