今月も花園誌で「心揺さぶる!禅の名場面」描かせていただいております。
今月のテーマは「勇猛の衆生(ゆみょうのしゅじょう)」です。
勇猛の衆生とは?
今回のお話
今まで信心ごとにはまったく興味がなかった商人の山梨平四郎。
しかしある滝のそばに立ったとき、滝つぼのできては消え、できては消えする泡を見ていると、やがてこんな考えが湧いてきました。
「できてすぐ消える泡もあれば、しばらくたってから消える泡もある。しかし結局どの泡も最後には消える。命も同じことじゃないか。若くして亡くなる者もいれば長生きする者もいる。だが最後はみな死ぬ。」
何だかじっとしていられないような気持ちで家に帰る途中、ある庵寺の前を通ると、法語が聞こえてきました。
「勇猛の衆生のためには成仏一念にあり。懈怠の衆生のためには涅槃三岐祇に亘る」
(勇ましく心を奮い立たせた者はたちどころに成仏できるが怠け者には永遠に安心の境地は得られない)
これを聞いた平四郎。
まるで自分の背中を押してくれたような気がして、よしオレもひとつやってみようと
やったこともない坐禅を始めてみました。
ところが、とたんに脚は痛くなってくるし眠気も襲ってくる。
さらには妄想雑念が次から次へとわいてきます。
もうやめてしまおうかという弱気をおさえ、必死に心の中で
「勇猛の衆生のためには成仏一念にあり」
と唱えてがんばりました。
気がついてみるとほのぼのと朝が明けています。
外を見ると、不思議なことにいつも見る窓からの風景が、まるで違っています。
木々の緑が、山の姿が、石の色がことごとく輝いて見えます。
「何ということだ。これが見性(悟り)というものか」
平四郎の見性はかの白隠禅師も認めるところとなり、在家でも真剣になればただちに見性成仏できる実例として広く知られることになりました。
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