こんにちは今木商事(イマキショウジ@imakisyoji)です。
この前こちらのブログ記事を読みました。
書くことは何故苦しいのか? スランプを破壊するいくつかの方法 読書猿Classic: between / beyond readers
一読して目からウロコが数枚落ちる思いでした。
大変示唆に富んだ内容だったのでご紹介したいと思います。私が長い間疑問に思ってきた「なぜ書けないのか?」の原因が明らかにされていました。
簡単にいうと書けないのは「内なる仮想の読み手」の存在があったからでした。
「書き手」と「読み手」2つの自分
くわしくはこの方の記事を読んでください…といっちゃうと話が終わってしまうので私もいくらか語りたいと思います。
なおこの記事は小説を書く場合を想定されているようですが、この「なぜ書けないか?」という疑問はマンガにも十分あてはまると考えて話を進めていきます。
なぜ書(描)けないのか?という疑問
新人時代
前にも書きましたがアマチュア時代の私はこの「なぜ書けないのか?」というこの疑問に多大な関心がありました。
なぜかというとマンガ家になるためには新人賞に応募する作品を完成させなくてはいけない。それなのに一向にその作品を書き出すことができなかったからです。この謎を解いて早く作品を仕上げたい…いつもそうあせっていました。
けっきょくその謎は解けないまま、何とか周囲の応援で作品は仕上がったわけですが…。
プロになってからも
その後どうにかプロになってからもこの謎は解けないままでした。かなりギリギリにならないと動き出さない自分にイラだち、これが解ければもっと効率的に作業が進められるはずなのになあと思っていました。
後進のためにも
私だけでなくまわりにもこういったタイプの人はたくさんいました。おこがましいかもしれませんが、この謎が解ければそういう人たちにも助けになるだろうと考えていました。
内なる仮想の読み手の存在
この記事によればそれは「内なる仮想の読み手」が原因であるとのことです。
僭越ながら私が自分なりに説明させていただくと、書き手は文章(やマンガ)を書くとき自分の中に仮想の読み手を想定しています。いわば自分を「書く人」と「読む人」に分けて一人二役を演じながら進めるわけです。
良い面
「おっこういう展開だとおもしろいぞ」
「ここは感動するところだ」
「こちらの表現の方がわかりやすいな」
「このギャグで笑っちゃうぞ!」
とか「仮想の読み手」の反応を確かめながら書きます。
これをすることで作品が独りよがりにならず、不特定多数の読者にもわかる水準のものに近づくわけですね。
悪い面
しかしこれには当然逆の側面もあって「仮想の読み手」がぜんぜん満足してくれない場合があります。というよりこちらの方がはるかに多いことでしょう。
「うーんこの展開じゃつまらんな」
「ぜんぜん感動できない」
「ここはわかりにくい」
「このギャグ笑えないよ!」
など否定的な意見が多く出てきます。そうするとそんなこといわれた「書き手」はやる気を失ってしまい、けっきょく書けなくなってしまうわけです。
ではどうすれば良いのか?
原因がハッキリすれば対処法もおのずと見えてきます。こちらも記事の中で詳細に説明されていますので項目だけ引用させていただきます。
- 受け入れる
- 象徴的に殺す
- 速さで振り切る
- 思考を離れ感覚にもどる
- アクターを増やす
私の「特殊能力」?
おまけとして書きます。
こういう謎をかかえて解決しないままの状態で、なぜ私はマンガ家になることができ、しかもどうにかこうにか続けることができているのでしょうか?
それは私が持つある「特殊能力」のおかげなのです。
アメコミヒーローは大体「スピードが速い」とか「力が強い」とか一芸に秀でていることが多いですね。私にもこういった一芸がそなわっていたということです。
その能力とは…「自分では『ダメだこりゃ!』と思っている原稿でもぬけぬけと出してしまえる」というものです。
私は昔から心の中で「横向き提出」と呼んでいます。
何かあこがれの先輩にラブレター渡してる乙女みたいになってしまった(笑)