こんにちは今木商事(イマキショウジ@imakisyoji)です。
私のマンガの師匠である国友やすゆき先生が永眠いたしました。
同じくアシスタントをやっていた藤井昌浩さんの訃報は以前本ブログで記事を書きましたが、その藤井さんの告別式でお会いしたのが私にとって最後となってしまいました。
国友先生のことは早くブログに書きたかったのですが、書きたいこともたくさんあってどうにも内容がまとまらず、このままだといつまでたっても書けないと思ったので、とりあえず今回、国友先生への最後のごあいさつとして簡単にまとめてみようと思います。
仕事にきびしいが気さくでやさしかった国友やすゆき先生永遠に
出会い
藤井さんの記事でも書きましたが、新人賞をとって3年後、私は重い腰を上げて東京に行く意志を担当編集さんに伝えました。
すると
「国友さんのところでやってみない?」
と編集さんに声をかけられたのです。
後から聞いたところだと、ちょうどお1人アシスタントの方がやめることになっていたんですね。
私は少し悩みました。
というのも、当時漫画アクションで国友作品は読んでいたのですが、その硬質で繊細なペンタッチ、緻密で精確な背景などを見て
「ここでアシスタントやってる人大変だな~」
などと思っていたからです。
でもせっかくのお誘いだしと思い、けっきょく国友先生のところでお世話になることにしました。
お人柄
国友先生は私より11歳年上だったのですが、見た目はお若く、30代後半の頃はヘタすると大学生くらいにも見えるほどでした。
マンガ家にありがちな暗さはなく、屈託なく笑う明るい性格の方でした。
しかしこれが仕事モードに入ると一変し、とてもきびしい顔になるのですが…。
いつもギリギリまでネームと格闘し、くたくたになりながら原稿を描かれていた先生を思い出します。
また後進の育成にも熱心で、私の頃ではありませんが、アシスタントにネームを書かせて指導などもされていました。
ボンボンへの紹介も
国友先生の「企画アリ」という作品の打ち上げで、私は1次会で帰宅したのですが、先生がその次に行ったお店(そこはマンガ関係者が集まるところだったそうです) でたまたまコミックボンボンの編集さんと知り合いました。
そのとき
「ウチに幼年誌向きの人がいるよ」
と紹介してくれたのです。
マンガ家からすると、自分のところのアシスタントが独立するとまた新人を一から育てなくてはいけないから効率的にはよくないのですが、そんなことは気にせず、弟子の後押しをしてくださる方でした。
あと私がボンボンで出した単行本を持っていくと、とてもよろこんでくださいました。
訃報
訃報を知ったのはツイッターでのある方のつぶやきでした。
思わず
「えっ」
と声が出ました。
実はほんの少しですが予兆はありました。
絶対に原稿を落とさない先生が、週刊ポストでの連載作品を突然休載していて、しかもその後も再開していなかったからです。
しかしいろいろ確認すると、さほど心配することもないのかな…と、とりあえず安心していたのですが…。
私より年上とはいえ、65歳まだまだ早すぎます。
国友やすゆき先生のご冥福をお心よりお祈り申し上げます。
先生、本当にありがとうございました。
プロモーションコーナー
本作が遺作となってしまいました。