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【マンガ家志望者へ】彼方に見える理想も大事だが、足元の現実も大事!

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こんにちは今木商事(イマキショウジ@imakisyoji)です。

今回は理想を追求するのはいいが、それにこだわり過ぎて歩みが止まってしまってはよくない。カッコ悪くてもいいから、現実に結果を残せ!というお話です。

ふらつきながらでいいのでとにかくスタート!

 落語と私

昔、桂米朝師匠が書かれた「落語と私」という本を持っていました。 

落語と私 (文春文庫)

落語と私 (文春文庫)

 

今手元にないので記憶をたよりに書きますが、この本の中にこういう一節がありました。

 

「寄席には落語を見尽くしている玄人のお客さんもうならせるような名人芸の落語家も必要だが、舞台に出てきただけでパアッと明るくなるような寄席に慣れていない子どもでも楽しめるような人気者の落語家も必要。この両者は車の両輪のようなものでどちらが欠けてもいけない」 

 

たしかこんな内容だったと思います。私はこの文章にとても感銘を受けたのでよくおぼえているんですね。

 

落語に限らずどんなジャンルでもいえることですが、その世界で長くいるとつい玄人目線になってしまって素人からはどう見えるかということを軽視してしまいがちだと思います。

たとえば映画業界だと難解な作品はカッコいいけどハリウッド超大作はバカにしてしまうとか(もちろんそうじゃない人もたくさんいらっしゃると思いますが)。

しかしそのジャンルがマニアックな玄人向けのものばかりだと新規のお客さんには入りにくいものになってしまい、けっきょくそのジャンルは廃れてしまいます。

ただ芸を追求するだけではなく、商売とか俗的なものも考えなくてはいけないということだと思うのです。

マンガ家目指す人へ

ところで私の印象ですが、入門書とかで見られる、マンガ家目指す人へ向けての言葉って「キャラを魅力的に」とか「背景はきちんと」とか「ストーリー構成はこうしなきゃ」とか作品内容の質の向上を狙ったものがほとんどだと思うんですよね。

いや、質を上げるようにするの当たり前だろといわれそうですが、まだ慣れていない新人の頃にあれやこれやいわれると、マンガが描けなくなっちゃう人もいるんじゃないかな…と心配してしまいます。

また画力・ストーリー・キャラの魅力とか各パラメータ(?)をとにかく高くするのに成功したとしても、いいマンガが生まれるとは限りません。

マンガオリンピックをやっているわけではないのです。

先ほどの「落語と私」の文章でいえば、玄人向けに偏り過ぎているのではということです。

新人賞の応募作

ここで思い出すことがあります。

私は昔、お世話になっていた講談社の児童雑誌コミックボンボンで、新人賞の審査員をやっていました。

プロマンガ家志望の方々が原稿をたくさん送ってくるわけですが、その中で一作、ペン入れされていない下描き状態のものがあったのです。

私はこの作品に対して、2つの矛盾した感情を持ちました。

1つは

 

「ペン入れもできていない原稿では残念ながら話にならない。内容の評価以前の問題だ」

 

もう1つは

 

「下描き状態でもとにかく送ってくるその意気やよし。そのなりふりかまわない気迫は認める」

 

でした。

結果、この作品は受賞ならなかったのですが、この作者のがむしゃらさは印象に残りました。

 たしかに下描き状態の原稿を送ってくるというのはほめられたものではありません。完成原稿を送るのが新人賞の規定だからです。

しかし私自身が新人賞を受賞したとき、規定ページ数を超過しているのに入賞している方がいました。

「規定ページ数内におさめてない原稿は無効じゃなかったっけ?」と当時の私は首をかしげたものですが、後から考えると、新人賞というのはあくまで出版社が新人発掘のために行っているものですから、いい作品を描ける新人が獲得できるのなら、規定をゆるめることも場合によってはアリだったのだろうなと思います。

電車の中でネーム

かくいう私も、他人に偉そうにいえないカッコ悪いマンガの描きかたをしていました。コミックボンボン末期の頃です。

連載作品の打ち合わせが編集部であるのでネームを持っていかなくてはいけないのですが、そのネームが当日になってもどうしてもできません。

仕方なく行きの電車に乗り、その中で何とかかんとか考え、車内でネームを2、3ページ殴り書きして、どうにかこうにか打ち合わせにのぞむ…そんなことが何度かありました。

ちなみにさっきの審査員より後の話です。

まとめ

どこかの軍隊でやってた水泳教練で、泳げない人もとにかくかまわず水の中に放り込む。そうするとその人はとにかく必死で体を動かすので、やがて泳げるようになる…という話を昔本で読んだことがあります。

こういう乱暴なやり方は私も決して好きではないし、やるべきではないと思います。

ただ水泳をやる以上、とにかく水の中に入らないと話にならない。いくら畳の上でバタバタ手足を動かしても泳げるようにならないのですから。

同じようにマンガ家目指すのだったらとにかく描いて、人の目にさらさないと意味がない。

今も昔もマンガ家志望なのに作品を描かない(描けない)人は多いようです。

私も描けなかったので気持ちは十分わかりますが、カッコ悪くてもいいのでとにかく第一歩を踏み出すことが大事です。

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仁と侠

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